沿革
沿革
当山の開基は、芸州浅野家広島藩二代目藩主、浅野光晟公の乳母を務めた「好の局(蓮光院春月妙詠大姉)」である。寛永3年(1626)、その息女とともに、菩提所として寺領を拝領し創建された。御開山には、市内新川場(現・小町)の本照寺第二世本壽院日椿上人を迎えた。当山、本照寺ともに、顕本法華宗の寺院である。山号、法流山。現住職は、第19世島田幸晴。
境内は広くないが、平成4年に新庫裡が完成したのを機会に、御開山のお名前にちなみ、「椿の寺」として整備してきた。特に、正面に植えてある高さ6mの大椿と、その横にある巨大な根元から株立ちになったヤブ椿は見事である。本堂正面の階段を上がると、300種以上で400以上もの椿の鉢が並ぶ。晩秋から4月ごろまで様々な椿が楽しめる。「椿の寺」としての歴史は20年余と浅く、「椿園」というには規模が小さいが、交通至便な地で、これだけの椿が身近に楽しめるのは珍しいのではないだろうか。
境内には、この寺と縁の深い歌人・近藤芳美の歌碑が建つ。

近藤芳美歌碑
歌人・近藤芳美(1913~2006)は、当山先代夫人の甥にあたる。芳美氏は、父親の赴任先である朝鮮の馬山で生まれたが、中学高校時代を、広島にあった母方の祖母の家で過ごした。平成6年に当山で原爆50回忌の法要を営んだ際、本人に揮毫を依頼し、その肉筆を刻んで建立した。
川浅くなりたる街を今日は行く 夕べ寂しき広島の鐘
と刻んである。昭和26年に、原爆の焼け跡に建つ当山に叔母を訪ねた時の情景を詠んだ歌である。


近藤芳美氏が母の葬儀に参列された際の写真。歌碑の前で。


交通アクセス
広島電鉄 『稲荷町』 電停下車4分。
駅前大通りを南へ 『松川町交差点』 を左折(一方通行)
はじめての右手角。